Norihitoブログ

50代からの人生のたな卸しをつづったブログです。

NLPを学びに東京へ!

悩みの中で・・・


人材育成プロジェクトチームでの「挫折」を体験した私は、完全に目標を
見失ってしまいました。

これからどうしよう。何を目標に取り組めばいいだろう。
そんな不安が私を襲ってきました。

チーム内でも浮いた存在になり、発言力もありません。
今まで行ってきたことが通用しない、やりたいことが出来ない、
それ以前にやりたいことが分からない・・・そんなに辛いことはありません。


お酒を飲んで上司やメンバーの悪口を言って気分を晴らす日々が続きました。
その内、周りの人への不満を言っている自分は一体何をしているか?
他の人の悪口を言えるほど私は何かやっているのか?
と考えた時、自分が恥ずかしくなってきました。

 

NLPを学びに東京へ!

このままでは私は口先だけで何も行動しない問題社員になっていく。
何か自分を変えなければと思うようになりました。
何を行うか? 自己啓発書を読み漁る、資格を取得する、セミナーを受けるなど
自分がやりたいことをリストアップしました。

その中の一つにNLPの資格を取るというものがありました。
NLPとは、ニューロ・リンギスティック・プログラミングの略で
日本語に訳すと「神経言語プログラミング」となります。

私は、NLPの資格取得を目標とし、東京にて学ぶ決心をしました。

なぜ、NLPを学ぼうと思ったかというとプロジェクト・メンバーのスキル向上のため
社外講師を呼んで4日間の研修を受講し、その時に学んだ内容がNLPだったのです。

NLP研修を受講し、今までの研修に関する考え方が180度変わりました。

4日間の研修では、日常で使えるNLPのスキルを学んだのですが、
その後も書籍やネットで調べると奥が深い学問であることが分かってきました。


NLPを深く学ぶことで自分の武器にしよう!と考えてのことでした。

NLPを学びに初めて東京に行きました。
受講料が高額だったので、移動する時は夜行バスを使い、
宿泊先も安いカプセルホテルで節約しました。

夜中に名古屋駅を出発して夜行バスに乗り込み、早朝に新宿に到着します。

何もかも初めての体験で新鮮でした。
今まで悩んでいた自分が嘘のように新鮮な気持ちと今後の期待に胸を膨らませました。

今まで自分が築き上げたことを捨て、新しいチャレンジが始まりました。

最初に受講した研修は、NLPビジョンセミナー。
2日間のプログラムで自分のビジョンを描くための研修です。
今の私には必須の内容だと思って応募しました。
早朝に到着した新宿駅から東京駅に移動し、会場に移動。新しいことが始まる予感に
ドキドキしながら会場に足を踏み入れました。

 

今回はここまで

 

 

挫折

チームの中で孤立していく私・・・

 

沖縄からスタートした現場主導の取り組みは、全国までは行かないまでも16の事業所で
取り入れられ、その職場独自の進化や特色を出しながら進んでいきました。

もっと、もっと展開したい!という気持ちだけが先走ってしまい、組織を無視して
突っ走ったことがメンバー内の人間関係に亀裂が発生していました。

振り返って考えてみると私の無鉄砲さはやりすぎだったと反省しますが、
その時は会社のため、チームのために頑張っているのになぜ足を引っ張られるのか?と
反発ばかりしていました。
なんとも成熟していない子供のような対応でした。


頑張れば頑張るほど、組織内の亀裂は大きくなる一方で修復することもできず、
私は組織の力に押されてしまい挫折を味わうようになりました。

良いこと、正しいことをやっていれば正当化させると思っていた私のエゴでした。
良いこと、正しいことを進めるには、その重要性を理解してもらうことが必要ですし、
上司や同僚の協力も必要になります。
そんな当たり前のこともわからず、ただ勢いで進む私の行動は、やっている内容以前に
組織人としてダメだというレッテルを貼られました。

それを無視した私は徐々に組織内で浮いた存在になっていきます。
同じ志で取り組んでいたメンバーとも気まずい関係になり私は孤立していきました。

これらを受け入れることは、私のやってきたことを否定することだと思うとなかなか
素直に認めることができませんでした。

 

 問題から逃げるように東京へ・・・


私は、自分の目的ややるべきことを見失い、仕事に行くのが苦痛になってきました。

客観的に考えると私の行ってきたことは、良い所もあり、欠点もあったので今後、
修正していけば私の成長にもつながります。
それを認めずに自分の正当性を主張するだけでは成長することはありません。


大きな視点でモノゴトを見られず、近視眼でモノゴトを見てしまうと問題は解決には
至らないものです。私は、クモの糸にからまった虫がもがき苦しむように、
問題の渦中でジタバタしていました。


その問題から逃れるために東京に勉強に行く決心をしたのでした。

この挫折が、その後の私の研修スタイルや目線を変えるきっかけになりました。


今回はここまで

沖縄での成功事例を全国へ!

岐阜、北海道、三重、群馬への展開!

 

沖縄での研修とその後の取り組みが成功し、次は他のグループ会社でも同じ取り組みを
行うことを約束し、私は次の目標に邁進しました。
人材育成プロジェクトに参加しているメンバーの出身会社でも同じような取り組みを
開催しませんか?と電話をしたり、メールを送ったりして反応を待ちました。


私の説明が下手でどんなことをするのか?をイメージできないようで、
私が期待していたような反応がありませんでした。
それでも私は「一緒にすごいことをしよう!」と何度も語っていました。

「たまたま上手くいったのでは?」
「沖縄の人たちだからできたのでは?」など無関心な人もいましたが、私はきっと実現するという気持ちで誘い続け、まずは岐阜県関市の事業所での開催が決まりました。

その後、メンバーの賛同を得て、岐阜県美濃加茂市、石川県金沢市、長野県飯田市
北海道函館市三重県伊賀市群馬県高崎市の事業所でCS向上への取り組みを実施することができました。

全国各地のグループ会社すべてというわけには行きませんでしたが、
沖縄でスタートした社員による自主的な取り組みを広げることができました。


あるグループ会社では、プロジェクトチームの結成当初は反対だった社長が、
自店の社員の発表を聞き、最後の挨拶の中で「感動した。このような研修と実践が
伴った取り組みを行うチームであれば応援する」と皆の前で話してくれました。
この社長、グループ会社でも大きな力を持った方で、その時の発言により、
私たちの活動が他のグループ会社への展開がしやすくなりました。


また、別の社長は発表を聞いて感動し、その事業所に金一封を渡した後、管理職が
集まる会議の場でも発表してほしいという展開になりました。
ドライバー社員が管理職会議で発表することは前代未聞のことで、
「現場の苦労と頑張りを管理職はもっと知るべき」という社長の計らいでした。

その会議で発表した社員は、その発表を機にさらにやる気に火が付き、
お客様から新規獲得に成功したとのことでした。

 

生きた実践型研修を目指して!


社員研修とは、単に講師が自己満足する場ではなく、社員の意欲を高め、
それを成果に結びつけていくことです。どんなに良い内容の研修を開催しても
社員の行動に変化が生まれなければ成果につなげることはできません。

研修で学ぶ内容を実践で使うように支援し、フォローすることで結果に結びつきます。


そのフォロー体制や社員の成功体験を共有する仕組みを作ることが人材育成であると
言えます。
研修後、社員が行動してくれるか?行動が成果に結びついたか?などを検証し、
それが上手くいなかいようであれば研修内容や方法またはフォロー体制の修正を
行うことで生きた研修になっていきます。

研修自体は上手くいかなかった(講師の主観的感想)場合でも社員が実践し、
成果につながる(客観的事実)ということもあります。

沖縄から他のグループ会社へ展開した約1年間は、私の研修スタイルを大きく変える
きっかけとなった出来事となりました。


しかし、裏ではチーム内での申告な問題点も発生していました。

私が、自分のやりたいことを強引に推し進めたことによる人間関係の歪みでした。

その時は、各社から喜んでもらえ評価されているのに、これらの動きに反対する人が
いることが理解できませんでした。
それも同じチーム内に。
その後、その確執が大きくなっていくことになったのでした。

 

今回はここまで

沖縄での研修は感動でした!

沖縄での研修スタート!


沖縄での研修がスタートしました。

朝9時~16時まで毎日10名ほど対し、火曜日から土曜日まで5日間の日程で
研修を行います。

毎日、自分の気持ちを高めて研修に挑みました。

沖縄の社員の方々は、ほぼ全員が研修を受けるのは初めてだということで、
受講した社員の方々も私自身にとっても新鮮な体験でした。

研修を行うにあたって「オープンであること」をテーマにしました。

研修講師というと教える側と教えられる側、先生と生徒というイメージがあり、
上下関係になりがちです。

でも、私自身がトラック・ドライバーを行っていたこと、学歴も中卒であること、
「教えてやろう」という意識は全くないことなど、すべてをオープンにしてしてから
研修を行うことで受講生の参加意識が前向きになったようです。
後で聞いた話ですが「本社から研修に来ると聞いて、よい大学を出たエリートが
来ると思っていたのですが、実際に来た講師が中卒のドライバー出身と聞いて親近感が沸いた」ということでした。

研修は大成功で終了し、沖縄を後にしました。

それから3か月に1回くらいの頻度で訪問し、まだ受講していない社員への研修を
行いました。

何回か訪問していく内に「社員の意欲が上がった」
「お客様から褒められる社員が出てきた」などの話を聞き嬉しくなりました。

学んだことを実践するための取り組み!

しかし、「研修を開催してよかった」だけでは自己満足に終わり、研修の内容を
実践し、その行動を継続してくれて初めて成果があったということができます。

せっかく何かの気づきを得てくれたのであれば、その後の行動を本人任せに
するのではなく、会社として組織としてサポートする仕組みが作れないか?
そんな企画が提案できないか?を模索しました。

研修では、CS(顧客満足度)を向上させるための方法や考え方などレクチャーしていましたので、その研修内容を事業所の社員全員で取り組もう!という企画を考えました。

CS向上の取り組みと題して、社員の中から推進メンバーを募りました。

推進メンバーが定期的に話し合いをし、CS向上の取り組み内容を決めていきます。

お客様から“ありがとう”と言ってもらった経験を朝礼の場で発表したり、
CS向上宣言&顔写真を張り出したりといろいろな企画を社員全員で
取り組んでいきます。

そして、約2か月後には今までの取り組み内容をまとめて報告会を行いました。
業務終了後、全社員を集め、そこに経営陣を読んで選抜された社員が発表します。
会場もすべて手作りで、プラットフォーム上に巨大なスクリーンに映し出しながら
発表していきます。

「大人しいあの子がしっかり発表しているな」
「あの社員のお客様からの“ありがとう”をもらった体験は感動した」など
経営陣も社員も真剣に耳を傾けていました。

最後、推進メンバーの涙ぐむ姿も感動を呼びました。
そして、最後の締めの挨拶で会長の『こんな感動する話や取り組みに感動した。
こんな社員をもって誇りに思う』という言葉をいただき、会場は感動の渦で
報告会が終了しました。

社員自らが会社を活性化させ、会社を成長させようという意識と意欲が高まったとして
経営陣から「研修のおかげで会社が変わった。ありがとう」と言ってもらえました。


私が今まで実施してきた研修スタイルや取り組み方を評価してもらえた瞬間でした。

この経験があってから、この取り組みを全国のグループ会社に広め、展開しようということを私の目標にしました。沖縄の社員の方々にもそう約束して「次は全国へ展開」という想いで沖縄を後にしました。

そこから私の次の戦いの日々が始まったのでした。

 

今回はここまで。

「私のやってきたことは他の場所でも通用するのか」

プロジェクトが始まりました!

 

人材育成・教育のプロジェクトに参加することで私の活動範囲は大きく拡がり、
全国の社員(約3万人)が対象となります。
「私が今まで行ってきた研修スタイル、教育方法が全国でどこまで通用するか!」が、
私の次の目標になりました。

今までのスタイルがどこまで通用するのか、自分の実力を知るという想いを胸に
全国から集まった9名のメンバーとスタッフ5名が初顔合わせをしました。
その集まったメンバーで合宿を行い、これから行う研修の内容を学んだり、
進め方を話しあったりします。

 

全国から集まったメンバーの参加目的もさまざまで、
ある人は「とにかく行って来いと言われたから」
ある人は「定年前の最後のご奉公に」
ある人は「旅好きで全国を研修で旅行できる」などなど。


そんな中で私は異様に鼻息が荒い、気持ちだけが空回りしている状態でした。

「私は私の目標に向かって進むのみ」という気持ちで自分のやる気を高めました。

 

初めての沖縄へ


プロジェクトメンバーで全国を分けて各会場で研修を開催していきます。
私の担当する地域の一つに「沖縄県」がありました。

沖縄にあるグループ会社の社員に研修するため沖縄に行くことになりました。
月曜日に沖縄へ移動し、火曜~土曜日までの5日間
朝9時~5時まで研修を行います。
沖縄の会社が毎日10名以上の参加者リストを作り、準備してくれていました。


私にとって初めて沖縄県に足を踏み入れ、沖縄にいる社員に話をすることになります。

「沖縄の人ってどんな感じなのだろう」
「快く受け入れてくれるかな」・・・

などの不安を抱えて那覇空港に降り立ったことを今でも覚えています。
迎えに来てくれた社員さんの車に乗って会社に向かう道中、初めての沖縄の街並みに
驚きに連続でした。
今では全国展開のチェーン店が進出して沖縄っぽさは少なくなってきていますが、
今から12年前の沖縄は、アメリカ時代の雰囲気が色濃く残っている地域がたくさん
ありました。中古車の価格を米ドルで表示している店も当たり前でした。

日本でありながら外国に来たような感覚になる場所が沖縄です。

沖縄に行った方も同じような感覚ではないかと思います。

初めての土地と研修への不安を抱えながら期待と不安の1週間が始まったのでした。

 

つづく

次の目標を探し求める

過去の成功体験が変化を拒む!

 

会社は、再建から統合による拡大が一段落し、軌道に乗り始めました。

統合により会社の規模が大きくなったことでお客様へのサービスも徐々に向上し、
収入も利益も増え始めました。
会社にとっても、社員にとっても、このまま良い方向に進むことが望ましいことは
明らかです。しかし、私の心は、空虚な穴が開いたような気持ちでした。

今まで改革のために時には無理をして進んできた私でしたが、これからの安定期、
成長期では、今までのやり方は求められませんでした。
私は、これから目指したいことや目標を見失ってしまったようでした。
一旦、何らかの方法で成功すると成功体験を忘れられず、新しいことへの変化を
拒むものだと改めて思います。

「自分も変化しなければならない」と思いつつ、なかなか過去の成功体験から
抜け出すことができませんでした。

その頃は、1人で始めた教育部門も1人がプラスされて、私もかなり楽には
なっていました。

それもあってか自分は何をしたらいいのか?何をしたいのか?を自問自答する
悶々とした日々を過ごすことになります。
数か月間、そんな状態が続きながらも社員教育・研修は繰り返されます。

 

新しい目標に向かって!


ある日、親会社にある人材育成部署から全国のグループ会社に召集がかかりました。

同じグループ会社といえども、今までは各社バラバラに行っていた教育・研修を
統一したので、グループ各社から1名、教育・研修に携わる人材を出してほしい
というものでした。

所属はそのままでプロジェクトとして進めるため、今の仕事もしながら兼業で行う
こと、自社だけではなく他社に出向いて研修を行ってもらうことなどが条件でした。

その召集の白羽の矢が当たったのが私です。

今の会社での目標を見失っていた私は、このプロジェクトに参加して
新たな目標設定をしました。
それは「自分が全国でどこまで通用するか試してみよう!」というものでした。

今まで自分が今の会社で行ってきた研修や教育に関する企画が、全国のグループ会社で
試してみることは大きなチャレンジでした。
せっかくのチャンスだから思い切ってやってみよう。

その時39歳。
もし今回のプロジェクトで上手く行かず、失敗することがあったとしても今の会社、
今の仕事に戻らないという決意で仕事をしようと退路を断っての決意で臨みました。

その目標設定により、新たなやる気が沸々とわいてきました。

これから何が起こるか!という期待と不安で胸が高鳴るのでした。

 

今回はここまで。

次回は、「天地での研修スタート」

会社の再生から会社統合・会社の拡大へ

「企業は人なり」を改めて感じた!

 

リーダー研修の受講生たちの現場での必死の努力により、会社は再生しはじめ、
黒字がでるようになってきました。
親会社からも社員の頑張りと会社の財政状態の改善が認められて、増資による支援を
してくれるようになりました。
それまで親会社からは会社を解散させる(倒産させる)ために役員を派遣し、
準備をしていたのでした。その派遣された役員も社員の変化を見て、
会社の復興に期待できるという報告をしたそうです。

その報告を受けて親会社の支援が入ると会社の体力も戻り、
労働条件も改善させていきました。

 

「企業は人なり」という言葉がありますが、まさしく社員が何とかしなければと奮闘し、努力する会社は必ず良くなるものと思います。

逆に「こんな会社に誰がした。経営者が悪いと批判や評論ばかりの会社は決して良くなることはないでしょう。

 

会社がV字回復し、3年目になろうかという頃に大きな出来事が起こります。

隣接するグループ会社との統合の話しが持ち上がり、一気に社員数は倍の1,300名以上に。

同じグループ会社とはいえ、今まで敵対しており交流もほとんどなかったのです。
こちらの会社に相手会社吸収合併する形で話は進みました。

敵対していた相手と統合で「どちらが上で、どちらが下」というマウントの
取り合いも多発し、従業員同士の融和も何もありません。

せっかく回復して軌道に乗りつつあるのに大丈夫だろうか?
という不安の声もありました。

大きな目で見ると統合することでお客様へのサービスも向上し、
競合他社との競争にも有利に運べる好条件が整うと考えると、些細な内輪もめから
意識を外に向ける必要があります。

私のドライバー教育で培った「現場に足を運んで社員と対話をする姿勢」がここでも
役に立ちました。

 

統合後、すぐに私は統合先の事業所15か所を回り、ドライバーの横乗りや社員との
対話に走り回りました。
当たり前ですが、対立していた会社とはいえ、同じ人間であり、日本人です。

きちんと話しを聞き、会話していけば分かり合えると改めて感じたのはこのときです。


そんな中、ドライバー研修の一環でドライバーのリーダーたちを集めた1泊2日の研修を企画しました。
統合後、初めて顔を合わせる人たちも多く、各事業所から集まったリーダーたちが
スライドを使ってメンバー構成や仕事内容を説明していく内容は新鮮でした。

そのリーダーの集まりには、社長をはじめ経営陣や部長、所属長などの管理職も
参加してもらいました。
昼は各事業所のリーダーたちの発表を聞き、夜はバーベキューで懇親会を開きます。

 

社長の「一丸となって会社を盛り上げよう!」という挨拶に全員が感動し、交流を楽しみました。

寝食を共にすること、同じ釜の飯を食うことが人と人の距離を一気に縮めます。

この研修を機に事業所間の交流も盛んになり、会社は融和ムードとなって
統合後の新しい会社の船出が始まったのでした。

 

やはり、すべては人の意識がつくり出すものです。

一番の問題点は、無知であるということです。
お互いを知らないことで敵対しているということもあるでしょう。

人材育成、社員教育という仕事を通じて「人」の大切さを知ることができました。

コロナ禍で人と人の交流やコミュニケーションが希薄になっている今だからこそ、
さらに重要さは増していくことでしょう。

会社統合後の激動の日が2年ほど続いた後、私は次の目標を探し始めていました。