Norihitoブログ

50代からの人生のたな卸しをつづったブログです。

消えかけた灰の中で火種を探す

上杉鷹山「火種論」に学ぶ!

 

33歳の時、ドライバーから社員教育の仕事へと大きく変わりました。

いつものように集配の仕事をしていると事務所から連絡があり、

会社の常務が近くの喫茶店で待ち合わせしたいとのこと。

よく分からないまま仕事が終わってその喫茶店に行きました。

話しはこんな内容でした。

「今度、私が社長に就任する。ただ、大変な改革をしなければならない。

会社は大変な状況にある」という内容でした。

 

要約するとこんな内容でした。

「会社は、私が入社する前にストライキを体験し、その時に多額の借金を

していたらしく、経理上は、その借金を返済済みとしていたが

実は多額の借金が残っており、債務超過に陥っているとのこと。

取引先にもすべて現金取引しかできず、一度支払いが滞れば倒産すると・・・

自分が社長に就任し大幅な人員削減と業務縮小を行う。

給与カット、ボーナスカットで会社を再建しなければならない。

そうなれば残ってくれた社員もモチベーションを落としてしまうだろう。

そうすれば会社の今後の成長は見込めず、いずれ倒産してしまう。

そうならないために社員教育、とくに集配ドライバーへの教育に力を入れて

そこには投資をしたい。その役割をお願いしたい」とのことでした。

 

その話を聞いて私もびっくりしましたし、

私にそんな大役が務めるかなと不安も感じました。

そもそも、なぜ私にそんな話が来たのかが不思議です。

 

後日、その社長に話しを聞いてみると、

私がドライバー時代にチームのコミュニケーションを深めるためにと

自分で新聞を発行していたのですが、その新聞を見て「面白いやつがいる」と

思っていたらしく、その他にもお客様獲得での実績や仕事ぶりを聞いて

「こいつなら出来るのでは?」と思ったらしいのです。

 

後日、社長に呼ばれて私に一冊の本を渡されて話された内容を今でも覚えています。

「会社は、以前話したように大変な状況にある。

有能な人材が会社を去っていくかもしれない。

残った社員も会社への不満とやる気がなくなってることだろう。

しかし、きっと残ってくれた社員の中にも熱い思いを持っている人がきっといるはず。

消えかけた灰の中に残った火種を探して、もう一度火を燃やしてほしい。

そして、その火を他の人にもつけて社員のやる気に火をつけてほしい。

それが社員教育担当者としてお前に期待することだ」というものでした。

 

渡された一冊の本は、上杉鷹山という人物の本でした。

上杉鷹山は、江戸時代中期、米沢藩の大名で、その当時に借金まみれで

財政が厳しかった藩を再生した人物でした。その上杉鷹山財政再建の時に

話した内容が「火種」の話しだったというこです。

 

その時から約20年が経過しますが、その当時に社長から話していただいた内容は

鮮明に覚えています。

今でも、社員教育の現場で社員の心の中にある「火種」に火をつけることが

私の仕事であると思っているのです。

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

セルフイメージを持ち続ける!

私はどんな人物か?

 

自分がどんな人生を送りたいのか?

どんな生き方をしたいのか?

どんな人物になりたいのか?

誰もがそんなことを考えたことがあるでしょう。

 

話しは変わるが、旧約聖書の中にモーセという人物が登場します。

紀元前、エジプトで奴隷として酷い仕打ちを受けていたユダヤ人を

約束の地に引き連れていくという物語です。

数百万人のユダヤ人をエジプトから連れ出し、

さまざまな問題をクリアしていくモーセのリーダーシップに

ワクワク、ドキドキしながら物語を読んだことを覚えています。

そのうちに「私もモーセのようなリーダーになりたい」

思うようになりました。

 

モーセは、口下手で、何かあればすぐに「私には無理です」と訴える人で

とても勇敢なリーダーではありませんでした。

しかし、そんなモーセが「それでもやってみます」と行動を起こしたときに

奇跡的なことが起こったり、助ける人が現れたりして問題を解決していったのです。

 

私も同じように人前で話すのは嫌で、何か問題があるとすぐにあきらめる

リーダーとは程遠い性格でしたから、そんな私でもモーセのようなリーダーに

なれないものかと思ったのです。

 

もちろん聖書に書かれているような紅海を真っ二つに割ったり、

杖を投げると蛇になったりなどをしたいわけではありません。

 

自分が果たすべき使命(ミッション)に向けて、

先頭に立って行動できる人でありたいと思ったのです。

 

何か問題があったとき、どうしたらいいか悩むとき・・・

モーセのリーダーシップをイメージすることで勇気が湧いてくるのです。

 

運送会社のドライバー時代は、与えられたトラックで集荷や配達を

1人で行うことが多かったのですが、

「いつか多くの人に影響を与えるリーダー的な存在になりたい」と

モーセと自分を重ね合わせてセルフイメージを描いていました。

 

33歳の時に人生は動き出しました。

 

33歳になった時、ドライバーという個人プレーの仕事から

会社内の全ドライバー(当時約650名)を教育するという仕事へと

大きく変化したのです。

 

私は、使命感に心を躍らせていました。

モーセがエジプトから人々を連れて約束の地に引き連れたように・・・

もちろん不安はありました。

「そんなこと無理だ。私にそんなことができるはずがない」

そんな心の声が聞こえてきます。

モーセと同じです。

でも「やってみよう」と行動を起こした時から人生が大きく変わりだしたのです。

 

セルフイメージは、とても大切です。

自分はどんな人生を送りたいのか?

どんな人物になりたいのか?

そのイメージを持ち続けてると人生はその方向に動き出すものです。

 

次回、ドライバーから社員教育担当者になった経緯や奮闘を

書いてみたいと思います。

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最も大切なことに時間を多く使う

時は金なり!時間の使い方

 

運送会社のドライバーとしての仕事にやりがいを感じた私は、

もっと良い仕事がしたい、もっとお客様に喜ばれる仕事がしたいと

思うようになりました。

と同時にもっと稼ぎたいという思いも強くなりました。。

運送会社の仕事は、歩合給があり、頑張れば頑張るだけ稼げると思っていました。

実際はそれほど大したことないのですが、少しでも稼ぎたい私は、

「どうしたらもっと稼げるだろうか?」と日々考えていました。

 

ある時、タイムマネジメントの本を見ていると

「欲しい成果に時間をたくさん使いなさい」

「実際に自分が何に時間を使っているかを調べてみなさい」

と書いてあります。。

 

そうか、時間の使い方か〜と思い、その日から毎日、自分の仕事での

時間の使い方をノートに書いてみました。

15分刻みで何をしたかをこまめに記入していきます。

そして1ヶ月間記入し終わったら項目ごとに集計します。

 

そこで気づいたことは、コーヒータイムや雑談の時間など思っていた以上に

どうでもいいことに時間を使っていることがわかります。

 

自分が欲しい成果(お金になること)に時間を多く使っているのではなく、

どうでもいいようなことに1日を費やしていたのです。

 

運送会社でお金になる仕事とは、荷物を集める(集荷)か荷物を配達することです。

配達は自分の力では増やすことは難しいですが

集荷は何とか自分で増やすことができます。

調査結果では、集荷に使っている時間は1日のうち1〜2時間程度でした。

 

だったら今後は集荷時間を出来るだけ増やそう。

コーヒータイムもなるべくお客様の所で取れないか?

集荷がなくてもお客様の所に滞在出来るようにできないか?

と考えました。

今までは用事が済んだらすぐに帰っていましたが、

お客様と会話をしたり、ちょっとした手伝いをしたり、

発送担当者だけではなく、他の従業員やパートの方と雑談したりと

お客様の所び滞在する時間を増やしました。

 

するとお客様の方から「この荷物、いつ頃着く?」とか

「この荷物をどこどこに送ったらいくら?」などと聞いてくれます。

私はすぐに調べて返事をしますと「じゃ、よろしく」とお願いされます。

そんなことを続けるうちに少ししか集荷がなかった私が、

1日中走り回るくらいに荷物が増えて売上=給与も増えていきました。

 

この教訓から「最も成果が欲しいこと、大切なことに時間を使う」という

考え方を体感しました。

 

50歳を超えて残りの人生の時間が残り少なくなってきて

大切なことに時間を使っているかな?とふと考えます。

仕事に多くの時間を費やしてきたけど、人生全体で考えた時、

家族、友人、自分の時間などを疎かににしてきたな〜としみじみ思います。

 

今からでも遅くないので人生で大切なことに時間を使うことを

今一度、考える今日この頃です。

 

今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お客様に信用してもらえるってすごく嬉しい!

初めて仕事で感じた感動!

 

 19歳でトラック運転手として運送会社に入社し、

3か月間でトラックを一人で乗れるようになり、自分の担当するコースでの

集配業務が始まりました。

 

まずは、お客様に慣れることが必要です。

『おはようございます。荷物をお届けにきました』

簡単な挨拶ですが、最初はその言葉も恥ずかしくて緊張しました。

先輩の助手として回っていた時は、運送会社なんて誰にでもできる

簡単な仕事だとバカにしている所がありました。

いざ1人で回ってみると簡単ではありません。

 

一言の対応からの展開

 

1人でコースを回り出してから数日後、いつものように配達先に

荷物をお届けに行った所、事務所の若い女性に『お兄さん』と

呼び止められました。『はい、何でしょうか?』と私。

『昨日、配達してもらった荷物を開けてみたら中身が壊れていた』との話でした。

私は、一瞬"困ったな。こんな時どうすればいいんだろう?”と思いました。

荷物が壊れていた時の対処法など教えてもらっていません。

とにかく対応しようと思い、私がお客様だったらどんな返答をしてほしいかを

考えて返答しました。

『そうでしたか。すみませんでした。

中身を見せてもらっていいですか?

事務所に問い合わせしてどうすればいいか連絡させてもらっていいですか?』

などなどとお詫びと今後の対応について話をしていました。

 

するとその話を聞いていた年配の女性が奥から出てきて

『お兄さん、気に入った。今まで配達に来た運転手で

そんな対応してくれたの初めてだった』というのです。

今では、運送会社のサービスレベルが向上し、

トラック運転手のお客様への接客対応もよくなり、

このような対応はごく当たり前になってきます。

 

でも、約30年前では、言動や態度の悪いドライバーさんが多かったのです。

荷物の中身が壊れていても

『私の責任ではありません』

『私は配達するまでが仕事です』

『事務所に電話してもらえますか?』

という対応をする人がほとんどでした。

 

そんな時代での私の対応は新鮮だったのでしょう。

会社で力を持った年配の方に気に入ってもらえました。

話しはそこで終わらずに続きます。

『実は、返品したい荷物が倉庫にあるけど、あなたに集荷をお願いしたい」と

言ってもらいました。

 

その会社は、デパートのギフト商品を扱う倉庫であり、

お中元、お歳暮時期はメーカーに返品する荷物が大量に保管されています。

いつも集荷に来る運送会社があるそうなのですが、その時の一言の会話で

私にその荷物を発送してくれることになりました。

倉庫に連れていかれると大量の商品が置かれています。

これを全部、私に集荷してもらいたいとのこと。

 

すぐに事務所に問い合わせしましたが

『今日1日かかっていいからお前が全部引き取ってこい』との返事。

 

それから1日かけてお客様の倉庫と会社を何往復もし、

夜遅くにやっとすべての集荷が終わりました。

 

どんな仕事でもお客様に信用してもらうことが楽しい!

 

私は、お客様から信用してもらって荷物を出荷していただけることが

こんなに嬉しいことなのかと感動しました。

後日、会社の事務所の人に聞いた話では、そのお客様(年配の女性)は

気難しい人で何度もクレーム電話がかかってきた人だということ。

 

どんな仕事でも『お客様に信用してもらうことは嬉しい』とこの体験から

私は学び、この仕事が好きになっていきました。

 

今回はこことまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生成功のカギは目標設定にあり!

すべては目標から始まる! 

 

19歳から運送会社に入社し、トラック運転手としての仕事がスタートしました。

今まで多くても4〜5人程度の職場しか経験したことがなかった私は

80名以上も社員がいる職場に戸惑いました。

 

まずは職場の人間関係作りからと思いましたが、なかなか上手くいきません。。

トラック運転手という職業柄なのか、一匹狼的な人が多くて雰囲気に慣れる

までに時間がかかりました。

 

トラックの運転から始まり、仕事の段取りの付け方、

荷物の配達業務は体力勝負です。

それとお客様とお話しすることに慣れていない私は

何件も何十件もお客様の所に出入りすることや

挨拶するのも恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。

 

そんな中でも頑張れたのは、家を飛び出した時に

必ず自分で自立すると決意したからでした。

まずは、車での生活から脱却してアパートを借りること。

ちゃんと生活出来るようになること。。

それが私の喫緊の課題であり、目標です。

 

その目標が目の前にあるから、心折れそうな時でも頑張ってこれました。

結果、3ヶ月後に1kアパートを借りることができました。

横に体を伸ばして寝れるって何て幸せなんだろう。

蛇口をひねるとお湯が出てきてお風呂に入れるって何て幸せなんだろうと

思い感動しました。

小さな小さなことですが「目標を達成したぞ〜」という達成感でいっぱいです。

そんな時は「私は何でも出来る。不可能はない」と思ったものです。

「人生成功のカギは目標設定にあり」と心の底から思いました。

 

今では年収も何倍かに増え、それなりに影響力を持ったポジションにいますが、

その当時のモチベーションは、現在の何倍、何十倍も高かったのです。。

 

何かを始めようとする時は、強いモチベーションが必要です。

人に言われたから、周りが期待しているからではなく、

自分の内側から溢れてくるセルフ・モチベーションが必要になります。

そして、セルフ・モチベーションは、自分にとって価値ある目標を

設定することで生まれてくるエネルギーです。

 

約20年間、社員教育に携わってきましたが、

教育や研修という外部からの刺激も大切ですが、最も大切なことは

その人自身にとって価値ある目標設定であるといえます。

目標設定の大切さを自分自身が仕事や人生で実践するとともに

関わる人たちに伝えることが私の使命であると感じているのです。

 

今回はここまで。。

 

 

 

 

 

 

 

 

成功とは何か?

成功の定義 

 

価値観が多様化している現代において、お金持=成功と考える人は少なく

なってきていることでしょう。

成功とは、自分がどのような生き方をするか?に関わることです。

 

「成功とは、自分にとって価値ある目標を段階を追って実現していくこと」

この考え方を17歳の時に学びました。

 

人生は、他人との比較ではなく、他人のための人生ではなく、

自分にとって価値ある夢や目標を持つこと。

目標に向かって段階的に実現していくプロセスであること。

 

成功とは、ある偉大なことを成し遂げた英雄や

特別な人だけに与えられる称号ではなく、

価値ある目標に向かって歩み続けていること、そのものが成功なのです。

もし、失敗したとしても目標を実現するためのプロセスであると言えます。

 

自分の人生の責任は自分自身が取らなければならない!

 

19歳の時、親と喧嘩し、家を飛び出し、お金がなくて車中で生活していました。

誰の目から見ても私を成功しているとは思わないでしょう。

 

そんな環境の中にあって、私の心はワクワクし、成功に向かっている自分を

感じていました。

 

「成功とは、自分にとって価値ある目標を段階を追って実現していくこと」

私にとって価値ある目標とは、「自分で自分の人生を切り開くこと」であり、

学歴がなくても、今はみじめな環境であっても、

そこから段階を追って実現しようとしていることが「成功」だと思うと、

自分の人生が楽しみに思えて仕方なかったのです。

 

両親には、心配をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

でも、自分の人生の責任を取るのは自分自身です。

 

自分にとって価値あることを手にすることは、

何よりも大切なことだと思うのです。

 

私は、ずーと親や大人の言うことに逆らわずに言いなりになっていました。

すべての責任は親や大人、他人にあると思っていました。

親の言う通りにしてきたのに・・・

あの人が言った通りにしたのに・・・

でも、「他人の言いなりになる」ということを選んだ責任は、

すべて自分にあると分かったとき、他人の意見に振り回される人生ではなく、

自分で自分の生き方を選ぶ人生にしていこう!と思ったのです。

 

今回はここまで。

 

 

 

人生の転機を受け止める

 人生にはいくつかの転機が訪れます。

人生の転機は、大きなインパクトで起こります。

 

人によって時期や回数は違うでしょうが、私の次の転機は19歳に訪れました。

 

15歳で社会に出て紆余曲折しながらも今後の人生が定まらない中で、

一旦、私は実家に帰り、親の仕事の手伝いをすることに。

18歳の時です。

最初は久々に家に帰って大人しく仕事の手伝いをしていましたが、

 

わがままな私の性格が出てきて「このまま家の仕事で終わりたくい」と

思う日々が続きました。

でも、何をするにも中途半端で仕事しても続かない私を心配して

父親も毎日、小言を言ってきます。

 

ある日の夜、些細なことで私は父親と大喧嘩をしました。

「家を出ていけ!」という父親の怒鳴り声に

私も「出ていってやる。二度と帰ってくるもんか」と啖呵を切って

家を飛び出しました。

最低限の洋服を車に詰め込んで家を飛び出しました。

家を出る時、母親は泣きながら私を止めましたが、

決意が固いと分かるとお金を手渡してくれました。3千円でした。

それが私の全財産です。

 

これからどうしよう?という不安もありましたが、

私も帰ってこないと言った以上、簡単には帰れず、

それから車の中での生活が始まりました。

15歳の時、高校を退学して働き出した後に起きた

私の人生の大きな転機でした。

 

後で冷静になって考えると、家を出て車の中での生活をしてまで、

親子関係が悪化する前に、話し合い解決する方法はなかったのかと思います。

 

でも、そうまでしないと中途半端な私は変わることが出来なかったのです。

 

本当に親には申し訳ないなあ、親不孝な子供だったなあと思います。

家出後、車の中で生活は3カ月間ほど続きました。

当時、付き合っていた今の奥さんにもお金を借りての再出発です。

 

とにかく仕事をしてお金を稼がなくては・・・

まずは住む場所を借りなくては・・・

 

そう思って仕事を探しているとき、たまたま通りかけた運送会社に

「雇ってもらえませんか?」と立ち寄ったのが今の会社です。

時代背景もあったでしょうが、面接に来るような恰好ではありません。

TシャツにGパン、スニーカーでいきなり「仕事させて」と言ってきた若造に

「明日から来い」と言ってくれた支店長には感謝しています。

とにかく仕事をしたいと思っていた私は、すぐにそこで働くことにしました。

 

食事も1日1食、車の中で寝泊まりする家出人である私の

トラック運転手としての人生が始まったのです。

19歳7月の時です。

 

その時は、この先がどうなるか分からなかったのですが、

どんな展開になるだろう?と心がワクワクしていたことを覚えています。

 

ではまた。